パラサイヨメンバー対談【第二弾】

パラサイヨは2020年、団体設立20周年を迎えます。
より多くの皆様にパラサイヨの歴史、魅力、メンバーの人となりを知ってもらうべく、
メンバー同士の対談企画を設けました。
今回は【対談企画第二弾】
パラサイヨ内チームでのリーダー経験のある二人が対談します。


右:サトアイ(パラサイヨ歴15年)
2005年にパラサイヨに加入。(当時社会人5年目)ソフトウェアエンジニアとして働いており、今年8月には男の子を出産予定。(その後、8月11日に無事出産しました!)支援先のCMSPでの愛称はSuger。(苗字がさとう=砂糖が由来!)

左:しほ(パラサイヨ歴2年)
2018年8月にパラサイヨに加入。(当時大学4年生)商社に勤務する会社員。最近は腹筋を割りたいと思って筋トレを始めたけど、模索中。(笑)

*¹クラス…パラサイヨの中に存在するチーム。全体イベントとは別に、各チームでイベントを企画する。
*²ツアー…毎年夏に支援している児童養護施設(CMSP)を訪れるツアーのこと。パラサイヨの一大イベント。


― 今回はクラスリーダーの経験をもつ2人にお話を聞こうと思います。それぞれ、パラサイヨとの出会いはどんなところにありましたか?

サトアイ:きっかけは、パラサイヨ初期のメンバーが会社の同期で、彼が同期の500人にメールでパラカップ(注:パラサイヨ主催のマラソン大会)の宣伝を流してきたところからかな。今そんなことしたらアウトだよね…ちなみにメールを貰った当時の私はその彼の顔を知らなかった。(笑) 私はそのメールを見て、なんとなく面白そうだし走ってみようかと思って参加申し込みをしたんだけど、大会前に週に1回の練習会というのがあって。その練習会に誘われて参加したら、その日がたまたまパラサイヨの全体ミーティングの日だったの。パラサイヨのメンバーと練習で代々木公園を走りながら活動の話を聞いたりして、それで全体ミーティングに誘われたのでついて行ったら、そのままいくつかあるクラスのうち一つに入ることになったんだ。8月のツアーも「今だったら申込間に合うよ!」って言われて、ツアーが何かもわからなかったけど、楽しそうだから行ったのが始まりかな。

しほ:そうだったんだ!

サトアイ:そうそう。それで、どうせやるならフィリピンのことももっと知りたいなと思ったの。だから初めてクラスミーティングに行ったとき、フィリピンの進学率とか識字率を調べて行ったのね。そしたら当時のあるメンバーに「こいつ見込みあるな」って思われたらしく(笑)、彼がパラサイヨの体制とか団体に対する想いについて語り始めたの。彼が団体の新しい体制を作るから、そこでリーダーをやってほしいって言われて、翌年初めてクラスリーダーになった感じかな。

しほ:サトアイはもともとボランティアに興味があったの?

サトアイ:全然。ボランティアに元々興味はなくて、たまたま。加入した理由で一番大きかったのは祐とヒロかな。全体ミーティングの後の飲み会で管をまきながらすごいアツく誘われたことが大きかった。アツく誘われた割に入会後のフォローはなかったんだけど…

一同:(笑)
(注:祐さんとヒロさんはパラサイヨの中でも団体愛の強いお二方。アツく話している様子が全員容易に想像できました。このシリーズにも後で登場します。お楽しみに!)

サトアイ:なので、私はメンバーと話して、その魅力で入会した面が大きかった。しほはどうやってパラサイヨを知ったの?今話題に出たヒロからの紹介って聞いているけれど…

しほ:それもあるかな。でも直接の紹介はまた別のメンバーに誘われたのがきっかけ。パラサイヨのメンバーが、当時所属してた別のコミュニティでツアーに行きませんかって宣伝してくれたの。

サトアイ:どうしてツアーに行こうと思ったの?

しほ:就活が終わった時期で、前の団体での活動が煮詰まってきていたこともあって、新しいことをやりたいと思ってたの。当時は大学4年生だったから、授業もあまりなかったしね。もともと海外旅行とかも行きたいなって思ってた頃に、フィリピンへのツアーの誘いがあったから、単純な興味でツアーに行ってみようと思ったのが最初かな。

サトアイ:じゃあなんで活動しようと思ったのかな?ツアーだけ行く人も多いよね。

しほ:そうだね。私が初めて行ったツアーは、完全にお客さんとして行ったのね。メンバーの皆みたいに、ツアーまでの1年間で子どもたちの為にイベントを頑張った経緯とかがなかったから、正直アウェー感があった。でもそれが逆に原動力になって、もう一回、次は一年間子どもたちの為に活動をしてこのツアーに参加したいと思ったの。そんなことを思いながら乗った帰りの飛行機がサトアイの隣で…

サトアイ:覚えてる覚えてる!私しほにめっちゃ語った!

しほ:サトアイから活動の背景とか、メンバーの思いとかを聞かせてもらったんだよね。そうして今いるメンバーの思いを知れば知るほど魅力を感じて、その話の中で気持ちが決まった。だから私もパラメンの熱意や思いに惹かれた感じかな。

サトアイ:私が初めてツアーに行った時に当時のメンバーからされた話と同じような話をとうとうとした気がする(笑)

しほ:パラサイヨの具体的な話が多かったから、正直初心者の私にはすんなり理解できる話ではなかったけど、熱意や熱さはすごく伝わってきた。それがすごく魅力的だったんだ。

サトアイ:あれでしほが入らなかったら私のせいだと思ったよ(笑)

 

― 噂によると、その機内でリーダーをやるお誘いがあったと聞いていますが…

サトアイ:そうなの、私がしほに言ったの。当時聞いた話では、しほが所属していた前の団体もイベント企画をしていたけれど、企画と運営だけ。でも、パラは集客もしなければいけないし、イベントだけじゃなく組織作りから関われる。ひとつの組織を育てて束ねていくってことができるから、それをしてみたら楽しいんじゃない?って話をして誘ったんだよね。

しほ:前の団体は代表に決定権があって、トップダウンな組織だったの。やることは明確だけど、私ができるのは下っ端の仕事、みたいな感じだったかな。上下関係がはっきりしていて、仕事みたいなところがあったのは確か。その点、パラサイヨは自由度があって、上下関係もなくて、そこに魅力を感じたのね。今までリーダーもやったことなかったけど、それもやらせてもらって勉強しようって思えたな。初めからクラスリーダーをやろうと思っていたわけではないんだけど、うまく溶け込まないと自分がフェードアウトすると思ったから、自分に役割を与えて、1年間ちゃんと活動できるような位置に居たいと思って、立候補したのを覚えてるよ。

サトアイ:パラサイヨは上下関係全くないもんね。

しほ:うん、そこはパラサイヨの最大の魅力の一つだと思ってる。サトアイはクラスリーダーをやってから代表になったのかな?

サトアイ:クラスリーダーをやるきっかけは、メンバーに口説き落されたことなんだけど、しほが言っていたことと同じ部分があるかも。私も役割がないと組織にいられないタイプなんだよね。自分で役割を課して、この団体にいる意味を作りたかったのかな。ただ、その時にクラスリーダーって難しいんだなって感じた。私は「助けて」って言うのがむずかしかったんだよね。自分でやると決めたら自分でやらなきゃって思いが強かったんだ。クラスにはパラサイヨ歴が長い人が多かったから、どういう風に進めるかで悩んだなあ。ツアーに向けてクラスで何かを準備するって時に、そもそもクラスメンバーでツアーに行けない人が多くて、どうしたらいいのかわからなくなって、初めてメンバーに泣き言を言ったの。そしたらクラスのみんなが、「サトアイが苦しそうだ!」って気づいてくれて、クラスのみんなが集まってくれた。だから試行錯誤しながら進めた1年間だったな。最後はメンバーに泣きついて、助けてもらった感じ。翌年から事務局(注:全体の統括チーム)に入ったのでクラスリーダーをしたのは1年だけだったね。しほは今クラスリーダー2年目かな?

しほ:うん。私もサトアイと被るところがあって、いくら上下関係がない組織とはいえ、パラサイヨ歴の長さを気にしてしまうところはあったな。それは未だにあるかも…?私はパラサイヨ歴が浅くて、パラサイヨ歴が長い人は団体のこれまでのこととか、イベントの作り方とか何でも知ってるから、そこが絶対的な存在だって思って頼りにしすぎてしまったり、寄りかかってしまうことがあって、それを言い訳にしてしまうこともあった。人の上に立った経験がないけれどその経験が欲しい、ということでクラスリーダーを始めたけれど、自分なりのリーダーシップのとり方って言うのはまだ見つけられてないなとは思うんだよね。やっぱり歴が長い人の見本みたいなのがあって、そこに甘えちゃう。きっと今後、パラサイヨ歴の浅い人がどんどんリーダーやっていくって時に、同じところで悩むのかなぁって思ってる。

サトアイ:もし、しほみたいにリーダーシップのとり方で悩んでる子がいたらどうアドバイスする?

しほ:全面的にフォローしてあげたいし、アドバイスができる存在ではありたいな。どう声をかけてあげるかはまだ分からないけれど、私もたくさん悩んだから、気持ちを分かってあげられるとは思う。

 

― 2人ともパラサイヨ歴が浅い中リーダーをした、パラサイヨでは珍しいタイプなんですね。それぞれ悩みながらのリーダー1年目を経て、また代表やクラスのリーダーをやろうと思ったのはなぜ?

サトアイ:つぎの代表は私じゃない?って思ったから。こんなに長い時間パラサイヨのことを想ってるのは私しかいないと思ったからかなあ。しほが2回クラスリーダーやろうと思った理由は?

しほ:1回目が、「やり切った!」じゃなかったからかな。時間を空けてからまたチャレンジするか、2年連続してやるかで悩んだりはしたけれども、連続でやることに意味があると思ったのと、一緒にやってくれるっていうメンバーの存在もあったかな。1年目のときも、リーダーをやってよかったなと思ったことはたくさんあったけれど、2年目にまたやろうと思ったのは、不完全燃焼だったから、そのもやもやを解消したいと思ったんだよね。

サトアイ:リーダー2年目はどう?

しほ:まだ終わってないけど、やっぱり完全燃焼は難しいよね。時間が経つと、あの時ああすればよかった、みたいなのは出てくるんだけど、後悔とも違くて。本当に一つ一つが学びだなと思うよ。そんなこんなも含めて、パラサイヨの活動は楽しいなって思うんだけど、サトアイはどんな時に活動の楽しさを感じる?

サトアイ:「リーダーとして」とか考えずに無邪気に答えると、やりたいなと思ったイベントを実際にできたときってやっぱり嬉しいし楽しいよね。それまでそんなに大きいイベントの企画運営なんてやったことなかったの。イベントや企画をするサークルも東京にはあったみたいだけど、私は地方の大学に通っていたしね。でも昔からイベント企画とかは楽しそうだなって思ってたんだ。パラサイヨに入ってすぐ200人の夏祭りイベントをやったんだけど、それも一人じゃできなかったことだと思う!やりたいって言ったらできちゃった!みたいな体験ってすごいことだよね。

しほ:会社って何かしらの“型”があるし、失敗できないけど、パラサイヨはそういうマイナスな点がないよね!うまくいかなかったとしても、やってみたことに価値があるというか。何でもやれる土壌がある。

サトアイ:うん。この間も、パラサイヨ初のオンラインイベントができて嬉しかった。楽しんでお金も稼げて、それってやっぱりすごいことだよね。これからもいろんなことに挑戦したいな。やりたいことはいっぱいあるから!

 

―そんなパラサイヨも今年で20周年ですが、2人はこれから10年後、パラサイヨとどう関わっていると思いますか?

しほ:イメージわかないね。(笑)その時34歳か…パラサイヨと完全に関わりなく暮らしているイメージは全くないかな。そもそも10年後、世の中がどうなっているかも分からないよね。

サトアイ:私はパラサイヨが10周年だった2010年頃に、ようやくツアーやクラス活動が定着して当たり前になって、パラサイヨが組織としてちゃんとしてきたと感じたのね。それでパラサイヨがこの先10年も続いていくということを考えた時、一般的に組織は成長期と停滞期、衰退期があるということを知って。それで考えると、これからパラサイヨも衰退期を迎えるのかもしれない、でもそれは嫌だなあって思ったんだよね。自分が未来のパラサイヨを担って、衰退期は迎えないようにしたいと思ったのを思い出したよ。

しほ:これから10年後、サトアイは10歳の男の子のママになるでしょう?それは10周年の時とは大きく異なる部分だよね。子どもが生まれた後の活動について、何か考えていることはある?

サトアイ:ぜんぜん考えてない!子どもが生まれた後に、自分の気持ちがどうなるかも分からないからね。今お腹に子どもはいるけど、まだ「この子のために!」みたいな気持ちが強く出ているわけではないの。一方で子どもを産んで意識がすごく変わる人もいるよね。私はあんまり変わらない気もするな…ずっとイベント作るの楽しい!とか言ってる気がする(笑)

しほ:でもサトアイのイベントつくるのが楽しい!って気持ちが周りに伝わるのってすごく大事だよね。その姿を見て初めてこれからイベントをつくる人たちに、イベントづくりは楽しいんだ!って思ってもらえるのは重要なこと。好きなことを楽しんで続けるのが大切なことだから。

サトアイ:10年後、パラサイヨには規模が大きくなっていてほしいな。オンラインコミュニティのプロジェクトも走っているしね。ただ、フラットな関係性やいろんなことに挑戦できるという風土は変わらないままでいてほしいな。

しほ:そうだね。私の場合は…ライフステージも変わってるかな?希望としてはパラサイヨの活動は続けていたいし、続けているだろうなと思う。そもそも10年後って、フィリピンも今より経済が発展していて、支援先とか、支援の仕方とかがパラサイヨ全体が組織として変わるんじゃないかなって思ってる。自分もその変化に合わせて変わっていけたらいいな。

サトアイ:変わんなきゃだめだよね。そもそもCMSPのような児童養護施設がなくてもいい国になっている、というのが本来のゴールなはずだから。それはフィリピン自体の問題に切り込んで、変革をしなければいけないことでもあるので、もっと大きな視点になるのかもしれないけど、そういう角度から支援をしている団体もある。大きな視点を持つことは忘れてはいけないよね。CMSPも、例えば寄付がなくてもやっていけるような経営母体になるとか。政治とかいろんなことが変われば、道としてはあるよね。そうして例えばCMSPがなくなった時、パラの存在意義がなくなるのは嫌だな。ダイナ(注:CMSPの経営者)が言っているProductive Member of Society(社会に貢献できる大人の育成)という方針は、今はCMSPの子どもたちに対するものだけど、それってどの国の子どもたちにも言えることだよね。だからいつかの将来に支援先が変わっている、みたいな未来についても少しは考えておかなきゃいけないと思ってるの。

― 今はCMSPのために活動しているけど、子どもたちだけじゃなくてパラサイヨのメンバーに影響されて活動できている人も多いですよね。仕事じゃない、権力や地位やお金じゃない、自分の楽しみが誰かのためになっているという構造は、自分の精神的な豊かさにつながっていると思うので、そういう生き方もあるって思える人が増えるといいなと思います。

サトアイ:パラサイヨのメンバーが、いろんな人を刺激して、パラサイヨに居なくてもその人が何かしら人生を楽しく感じて、誰かのためになることを自分の身の回りでできるようになるといいよね。

―モノに恵まれた人が多い日本では、これからは精神的な豊かさを求めて、誰かに何かをしたい、そう思う人が増えるかもしれませんね。フィリピンの子どもたちに与える影響だけでなく、「誰かの為に何かを、自分が楽しんでする」というパラサイヨ“イズム”が広がっていくことも、パラサイヨとしての10年後のまた一つの夢かもしれません。

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